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10月5日 メディアと表現
 JUGEMテーマ:アートを考える


前回までを軽く復習&補足

前回、前々回と技術決定論、社会決定論について学んできました。
その中でやはり「絶対技術決定論だ。いや社会決定論だ」というふうにどちらか一方によって人々の生活が変化するというよりは、その両方があって徐々に人々の生活に変化があるという内容でした。


前回の授業では登場しませんでしたが、F・キットラー(ドイツ)という人物がいます。
彼は「ちょっと待てよマクルーハン。技術についてしゃべらされていること自体、技術に促されていることを考えよ」ということを自身の文章で言っています。

イトウ社会決定論は送り手ではなく受け手に選択権があるという図式でしたが、たぶんある技術についてしゃべらされているということ(受け手の選択)は、それ自体技術によってなのだ。という意味だと思います。


また、キットラーは「グラムフォン・フィルム(蓄音機)、タイプライター」という著書を書いています。
その中で、蓄音機によって本来聞こえない音が聞こえるようになることについて書いています。人間の耳(脳)が処理してくれている小さな音も蓄音機は拾ってしまう。それを人々は「幽霊の声」などといっておびえるわけです。

つまり、「人間の知覚が蓄音機によって変化させられる」わけです。
また、タイプライターによってwordという文字をdorwと記述することで暗号としての役割も果たせるようになる。タイプライターと暗号とは深い結びつきがるのです。

そして、これはインターネットの気持ち悪さや違和感にも通じるところがあります。


ここまでが前回の内容と補足です。



第四講:なぜ、メディア・リテラシーなのか

media literacy:学校教育では教えられない(例えばテレビの見方とか)。
→社会的に自然と獲得していくもの(空気を読むという感覚ににてると思う


【1】背景

1、メディアの複雑化:
多チャンネル化(BS、CSなど。またテレビ以上の役割としてゲームも含む)、ケータイの多機能、雑誌(細分化)。


2、マス・メディアの不信:
・湾岸戦争のアメリカの自作自演(油まみれの鳥)
・ネットでのマス・メディアの書き込みができてしまうことで不信は広まった。
→古いものを叩いて新しいものが発展するのは歴史的によく見られること。


3、メディアの社会問題化:
・テレホンクラブ、ポケベルを通したコミュニケーション
 →宮台真司さん「制服少女たちの選択」
・子供の保護


4、社会の不透明化:
・みんながコミットできるものは少ない。みんないろんなことを自分の興味でやる。
「君がやってるのはおもしろいけど、どうでもいいや」的な。

・「国民」的な興味(紅白、芥川賞、オリンピック)が薄れた。
 →趣味の多様化→選択肢の多様化→あれはあれ、これはこれという雰囲気→全てが横並びで共存できる→お互いに干渉し合わない(多文化主義、ポストモダン)。

・フラッシュモブ(是非ググってほしい。おもしろいですよ



□コミュニケーションの形態

・1対1:パーソナルメディア

・1対n:マス・メディア
→アイテムの希少性、アクセスが困難。サブカルのエリート主義(全てを知っている。「1」になれる)

・n対n:コピーが無限、流通の回路の多様化(ネット的)
→サブカルのフラット化(あれはあれ、これはこれ。知識の相対化)
送り手が限られているとそれを知っているひとが上みたいなのがあったが、それがなくなったということです



【2】反復されるメディア批判

メモ:サイバー犯罪 H19約5400件

※他に特にメモするものがなかったように思います。


【3】メディア・リテラシーとは何か

1、メディアの使用能力:機器を操作する能力
2、メディアの受容能力:批判的に捉える能力(批判&再構築)
3、メディアの表現能力:人への電卓能力

・メディア・リテラシーを考えることは、別に「右」とか「左」ということではない。いろいろなことを考える上で必要な力と思っておけばよい。右とか左とか言ってる場合ではない。


メディア・リテラシーを考えるときに「右」だの「左」だのいう人がいるのでしょう。このへん詳しく聞いておきます






感想:
今回はなぜメディア・リテラシーというものに注目が集まっているのか(背景)と漠然と使っている人も多いメディア・リテラシーを定義できたことが大きかったと思いました。
| 【講義】メディアと表現 | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
9月28日メディアと表現
 JUGEMテーマ:アートとは何か


今回は前回の技術決定論の反対の「社会決定論」です。


第3講:社会決定論

【前回の復習】技術決定論は先端の人たちにとって都合が良いが、電車などを見ると技術が人の生活を便利にしてくれている面もある。
たぶん、先端ユーザーは新しい技術を賞賛し一般の人を無視してズンズン進んで行くんだけど、それが一般の人たちにとっても良い面がある。ということだと思います。


■1

・技術決定論 形式>内容 →(社会決定論の立場は)反発→「メディア=社会の産物」と考える。技術が人間の生活や感覚を変えるのではなく、人間が技術を選択していくというのが社会決定論の立場。

送り手→受け手:技術決定論(送り手が受け手を変える図式)
送り手←受け手:社会決定論(受け手が送り手を選択できるという図式)



しかし、どちらかが一方を変えるというわかり易い図式でものを考えない方が良い。
人はA→B、C→Dというようなわかり易い図式が好き。これは危険。
例えば、80年くらいを境にモダニズム→ポストモダンみたいな。実際はそんあかっちりしているわけがない。ということでしょう

電気、ラジオ、読書というものは長い時間をかけて一般の人に膾炙した(広まった)。
専門家が全てわかったようにフォーマットを語ればそれが即、社会のフォーマットというふうにはならない。(いろいろな人があーだこーだとひっちゃもっちゃ言う中で新しいメディアは浸透していくのでしょう



・メディアの在り方は最初から決定されているわけではない。
「社会→技術」この間にはいろいろなデマや情報、試行錯誤などがあり、そうした「厚み」があった上で「結局こういうことだったのか」ということになる(ラジオしかり、テレビしかり、ネットしかり)。
それは歴史的に後付けするしかないものである。


また、先端ユーザーのスピード感に違和感があっていい。そのギャップはあってしかり(たぶん、先端ユーザーが通って来た道を全てではないが、ある程度、緩やかになぞっていくのだと思います)。




memo:
「3時間半」→日本に住んでいる人が1日にテレビを見る時間の平均。ネットが入って来てもあまり変化がないということがわかる(何年のデータかは言っていなかった)。






■2
メディア論の円環


「メディアはメッセージである」しかし・・
・技術決定論:
 技術→社会(技術が社会を決定) 実在論。先端ユーザー強い。主導権は送り手。人間は受動的。

・社会決定論:
 社会→技術(社会が議ずつを決定) 反実在論。多様な人々。主導権は受け手。人間は能動的。


どちらが正しいとかではない。この二分法でぐるぐる回っている。
何となく、先生はこの世の中のわかりにくさ、答えの無さを伝えたかったのではないかと感じました。
| 【講義】メディアと表現 | 19:25 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
9月14日メディアと表現
 JUGEMテーマ:アートとは何か

第2回「技術決定論」


今回は僕の体調不良のため遅れて授業に行きました。
なのであまり講義内容をカバーできていないと思います。なので今回はどういう内容を扱ったのかということが伝わればという意味でメモをアップしておきます。


前回の復習
・メディアはメッセージである。
・送り手の意図≠受け手の理解
・完全なコミュニケーションは存在しない。
・内容<形式 (ネオンサインの例ですね)


今回の内容
・メディア=技術:技術の変化→社会の変化
・技術決定論:テクノロジーから見たメディア論


先端ユーザー:バージョンアップ思考・都合のいい未来を描く(疑問:そうかなー?)・多様性無視・社会の文脈無視・敵味方の二分法。



伊藤意見:
 このメモだけみるといかにも技術決定論(技術が社会を決定する/規定するという考え方)はマイナスな捉え方をされる。

例えば「携帯電話の普及により活字離れが進んだ」とか。確かにそうかもしれない。しかしニート、猟奇的殺人などが起きたとき、テレビゲームやインターネットの影響で想像力の欠如が原因で〜とかよく語られるのは僕はいささか強引でどうかなと思う。

そういう「原因は技術決定論」と言えば説明責任を果たせるような雰囲気があると僕は感じるけど、これを読んでいる方はどうかな。
そういう「納得のシステム」という機能が技術決定論にはあるようだ。
でも鉄道の誕生、飛行機の誕生等、すごく便利になっている面も確かにあるのは忘れてはいけないと思う。
| 【講義】メディアと表現 | 15:05 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
9月7日メディアと表現
JUGEMテーマ:アートとは何か 

 ムサビの芸術文化学科で行われている「メディアと表現」の第1回目の講義。
この授業は月曜1限なのだけど、僕の尊敬する先生の授業のため頑張って行っています。


 この講義の記事は毎週月曜日更新(なるべく)にしようと思います。
で、僕がポイントだと思ったことと考えたことなどを書いて行こうと思います。
(メディア論を学ぶ者として情報の意味付けは「送り手(先生)」ではなく「受け手(僕)」がやっているんではないかという意味において、これから書いていくことは授業での先生の意図とは直接一致しないかもしれないのであしからず)




第1講:メディア論という想像力と現実

前提
 1、インフォメーション:意思決定に必要な知識
 2、コミュニケーション:意思を伝達すること
 3、メディア:コミュニケーションを成立させ、同時に枠づけるもの(物質)
 4、マス・コミュニケーション:不特定多数への発信(1対多)
 5、パーソナルコミュニケーション:特定可能な他者への交信(1対1)

・上の1〜5について
 1→情報そのもの
 2,3→知識の在り方を媒介するもの
 4,5→知識の流通の担い手


まず授業をするに当たってこの5つの前提を共有しました。
当たり前というば当たり前ですが、まず言葉として共有しました。



 今回大事だったのは「完全なコミュニケーションは存在しない」という部分です。

かつてマーシャルマ・クルーハンは「メディアはメッセージである」と言った。
そしてそのマクルーハンがメディアについて書いた資料を参照しながら「メディア」とその「媒体」について注目した。

例えば「miller BEER」と書かれたネオンサインがあるとする。
ここで受け手は「文字として読む」ことの他にその「伝達形式(ネオン)」からもまたメッセージを受け取ることをマクルーハンは問題にしている。

そういった意味で完全なコミュニケーションはあり得ない。

送り手の意図≠受け手の理解

なので、教室内での僕と先生の関係も、このブログと読み手の関係も上の図式が当てはまる。
そしてこの図式の帰結点は「人間話せばわかるは幻想」ということではないかと先生は投げかけました。

それに対して僕が思うのは、確かにその限界を悲しみと絶望を持って引き受けなくてはならないと思う一方、それでも必死に伝える。伝わり易い様に試行錯誤しなければならないと思います。
もし、それでも相容れない価値観の違いに打ちのめされたとき、実感を持ってさっきの図式と「他者と自分の存在」がはっきりと浮かび上がってくるのだと思います。

それはたぶん日常生活でも起こっていると思いますが、宗教/国が違えばより明確なのではと思いました。


少し抽象的になりましたが、これは単なるメディア論に留まらず、生きていく上で重要な認識ではないかと思っいました。
| 【講義】メディアと表現 | 23:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
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